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ホテルジャンキー村瀬千文とホテルにまつわるヒト・モノ・コト

サムスン皇太子の痛くも痒くもない顔

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 大統領が弾劾されちゃったお隣の韓国。

12月7日に行われた韓国の国会聴聞会では、主たる財閥のトップのみなさんたちが一同に会してずらりと並んだが、そのセンターに座っていたのが、”韓国の王室”的存在であるサムスン財閥の三代目で、”皇太子”とも呼ばれるイ・ジョエン氏。

「ホテル新羅」社長のイ・ブジン(李富真)氏 ↓ の実兄である。

chifumimurase.hateblo.jp

サムスンについては、先日、こんな記事 ↓ も書いた。 

chifumimurase.hateblo.jp

 

余談だが、泊まっていた「ソラリア銀座西鉄ホテル」の部屋は、前泊した「ホテルオークラ東京」の部屋に比べると格段に狭く(感覚的には三分の一か四分の一くらい)ベッドとテレビの距離が近いので、母は「こっちの方がテレビが見やすい」と喜んでいた。年寄りにとっては何がプラスになるか、まったく予測不可能。

さて、

部屋が狭いためテレビを至近距離で見られたおかげで国会聴聞会で質問に答える”サムスン皇太子”の表情もよく見えたので、じぃーっと顔だけ観ていた。

痛くも痒くもない顔。

というのがわたしの感想。

当の韓国のメディアはどう報道しているのだろうかと調べてみたら、

朝鮮日報は、「困惑する表情を隠せなかった。」

中央日報サムスン系なので、直接話法は避けたようで、ブルームバーグ通信の報道を借りて「李副会長が国会議員の質問攻勢に緊張し、戸惑う姿を見せた」と報道。

あとで聞くと、他財閥に比べると1:9の割合で”サムスン皇太子”に質問が集中し、今回の問題にぜんぜん関係がない相続問題までいろいろ聞かれたらしいが、逆にこれでガス抜きになったのではなかろうか(妹のイ・ブジン氏の離婚裁判で明らかにされると神経を尖らせていた隠し資産問題から)。

実は、サムスンのことは、ずっと気になっていた。

そのきっかけは、1980年代のはじめ、大韓航空でパリに行った帰りのことだった。フライトが遅れて成田空港の着陸制限時間に間に合わず、ソウルで足止めを食った際、大韓航空の手配で泊まることになったのが「ホテル新羅」だった。

当時、まだ貧しく暗いソウルの街を抜け、高台の上にそびえ建つ「ホテル新羅」のロビーを入ったときは、その外界とのあまりの違いに驚いた。

ゆったりしたスペース感がオークラを思わせるロビー、スタッフたちはみな驚くほど流暢な英語を話し、東洋的な控えめさを持ちながらも洗練されたサービス。夜食をとったコーヒーショップの食事も美味しかった。

いったい、誰が、こんなホテルを作ったのだろうか?

気になった。

調べてみると、サムスン財閥の創始者である イ・ゴニ氏が、東京の「ホテルオークラ東京」から文字通り、徹底的に学んで作ったのだという。

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以来、サムスン財閥について興味を持つようになった。

気になると気になって気になって仕方ないたちなので、ソウルに出かける機会があれば「ホテル新羅」に泊まり、機会をみつけてはスタッフたちにも話を聞いた。

そんななかで驚いたことがいくつかあった。

まず、韓国ではサムスンに入社できるのは大変むずかしく名誉なことである。人事はサムスン・グループ全体で一括採用して系列の会社に配属するので、ホテルで働くスタッフたちも、そもそもホテルマン希望ではなく商社マンや電子関係希望だったりする人たち(当時は。今はもうシステムが変わったようだ)。出社時間は朝7時、退社時間は午後4時だが、ほとんどの社員はその後、会社の語学研修を受け、夜は自費で語学や専門技術の学校に通い、出世競争はたいへん厳しい…。

そんな企業が作るホテルが、どんなホテルになるかに興味があった。

 

*いちばん上のホテルの写真は「ソウル新羅ホテル」の公式サイトからお借りしました。