幕末の1868年、築地の外国人居留地に開業した「築地ホテル館」
外国人のために建てられた日本最初の本格的ホテルといわれています。
勝どき橋のたもと、築地市場の立体駐車場あたりにあったそうですが、残念ながら銀座大火で焼失し、ホテルとしての命はわずか4年でした。
このホテルのGM(総支配人)をつとめたのが津田仙です。
新5000円札でいま話題になっている津田梅子のお父上です。
幼い6才の女の子をあの時代によくアメリカに留学させたものだとよく言われますが、津田仙は佐倉藩の藩士として生まれ藩命でオランダ語と英語を学び、江戸時代には外国奉行の通訳となり、幕府の通訳としてアメリカにも渡航した経験がありました。
明治維新の後は、「築地ホテル館」の支配人をつとめ、その後は「農業雑誌」の発行、農学校の経営にたずさわり、青山学院大学の創立にも関わりました。
「築地ホテル館」ですが、客室数102室。設計はアメリカ人設計士のリチャード・ブリジェンス。施工と経営は清水組、現在の清水建設です。
ホテリエ時代の津田仙、見てみたかったです。そして、もし彼が支配人日記を書いていたとしたら、読んでみたかったなぁ。