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ホテルジャンキー村瀬千文とホテルにまつわるヒト・モノ・コト

こんなときにも笑顔な「ホテルの女王」レオナ・ヘルムズリー

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きのうは、まだ続くのか この猛暑!のなか、竹芝の「インターコンチネンタル東京ベイ」で東京湾を見おろしながら打ち合わせのあと

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「帝国ホテル」のコーヒーショップ「パークサイドダイナー」で打ち合わせ前にひとりランチ。サラダ、パン、メイン(肉か魚)、コーヒーがついたランチコースが2750円。紙のランチョンマットですが、ナプキンは布製なのが好きです。

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食後のコーヒーを飲みながら(なんかコーヒーの味が変わったような気がする・・・)ニューヨークタイムズを読んでいたら「きょうは何の日」コーナーに

【1989年のきょう、「ホテルの女王」レオナ・ヘルムズリーに会社資金の私的着服ならびに脱税等の罪で判決が言い渡された】

なんて記事が出ていた。

ホテルジャンキーの方ならば、「ヘルムズリー」という名前にピンときた方もいるかも。

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そう、ニューヨークの旧「ヘルムズリー・パレス」(現在は韓国系で「ロッテ・ニューヨーク・パレス」)の関係者、オーナーの二人目の妻ですが、ただの妻ではありません。

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この方です。ちなみにこの写真は連邦保安官に逮捕されたときのもの。

🎵どんなときも、どんなときも、私が私らしくあるために・・・

こんなときにも笑顔なのでしょうか。

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「ホテルの女王」というのも実は自称で、社員らには「Queen of Mean 意地悪女王」と呼ばれていたそうです。18ヶ月ばかり刑務所でおつとめもしましたが、ほとんどドラマにしたいような人生を歩みました。

 帽子職人をしていた父と母はポーランドからアメリカに渡ってきたユダヤ系移民で、高校を中退して秘書やモデルとして働き、二度の結婚でなんとか中流入りした彼女の人生を変えるきっかけになったのは、エンパイア・ステート・ビルをはじめ当時資産50億ドルといわれた不動産王ハリー・ヘルムズリーと1972年に三度目の結婚をしたことでした。

1980年には「ヘルムズリー・ホテルズ」というホテル会社の社長に就任(夫が会長)。全米30軒のホテルチェーンに育てました。

従業員に次から次へと訴えられたり、刑務所に入ったりと、まあいろいろお騒がせもありましたが、やりたいことやって、2007年にコネチカット州の自宅にて87才で息をひきとるときのいまわの言葉は

【わたしのおとぎ話は終わったわ】

まさにアメリカン・ドリームを生きた女性でした。

 

P.S. 親族の誰よりも多い1200万ドルの遺産の相続者は愛犬のマルチーズ犬でした。