以下、ホテル設計を手がける建築家でホテルジャンキーズクラブ会員でもある
浅野一行さんが小誌で連載した「建築コラム from Architectural Point of View」で
東日本大震災後に書かれたコラムの抜粋です。
未曾有の大災害となってしまった東日本大震災。被災された方々、ご家族の皆様には心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りしております。
我々の基本的な価値観をも揺るがしたこの大震災を契機に、建物の耐震安全性に対する意識も明らかに変わったのではないでしょうか。
大規模災害が起きた時、ホテルは本当に安全か。
さらにホテルに何ができるのか。
そのためにどんな対策が講じられているのか。
今回は、ハードから見たホテルの防災対策についてお話させていただきます。
災害時のホテル
まずは、地震による被災で、ホテルのハードはどういった状況に陥るか。様々な可能性をあげてみましょう。
■建物はこわれないか?
地震の規模や地盤の状況等にもよりますが、建物の耐震性能を超える地震が来た場合、残念ながら構造が損傷する等の被害は免れません。
建築基準法における耐震基準は、震度6強の地震時に、建物は大破しても人命を守ることが目安となっていますが、昭和五十六年の新耐震基準に変わる前の建物は、この基準が満たされていないものがほとんどですから、構造が損傷する可能性が高いのは事実です。
■天井のシャンデリアは大丈夫か?
躯体が無事でも、仕上げ材や設備等がダメージを受けると、人身事故となったり、ホテル機能が損なわれたりします。
最も危険なのは、天井材やシャンデリア等吊り物の落下です。ホテルのロビーや宴会場のような大空間では、余計に天井が揺すられることから、特に注意が必要です。
■避難階段だってあぶない。
また、階段室の壁の剥離は、ホテルに限らず多くの建物で報告されており、避難の障害となる大きな問題です。
■水害もある。
設備配管の被害も想定されます。スプリンクラー配管や大浴場やプールの循環ろ過の配管が外れて水浸しになった等のトラブルです。
■エレベーターはどうなるか?
エレベーターは、地震時や火災時には管制運転によって運転を停止します。その後、安全が確認されれば動き出しますが、ダメージを受けた可能性がある場合は、メーカーが安全を確認するまで動かせません。
さらに停電になると、保安回路(自家発電源)に組み込まれていない限り動きません。今回の震災では、住宅やホテルでエレベーターが動かず困ったという話をずいぶん聞きました。
■停電になると…。
地震の直接的な揺れによって起こる被害の他に、インフラがやられ停電になると、さらにいろいろな問題を抱えることになります。計画停電の場合も基本的には同じことが起きます。前出のエレベーターが動かない他、こんなことも起きます。
電気錠がうまく機能しない。
予約システムが働かずチェックインの手続きができない。
給水ポンプが動かず必要な場所に水を供給できない。
(これは部屋のトイレが使えないことを意味します)
空調機が動かない。(窓の開かないホテルは大変です)
もちろん、携帯電話の充電もできません。
身の回りの物が、いかに電気に依存しているか、再認識させられます。
後ほど、これらに対していかなる対策が考えられるか説明しますが、何もしなければ、ホテル機能は止まったまま、ただ電気が来るのを待つしかないのです。
ホテルのいろいろな使命
では、ホテルは災害時に備えて、どんな対策を講じているのでしょうか。
最優先は、ゲストの安全を確保するため。次に、被災直後のホテル機能を維持し続け、できれば、長期的には復興に向けて地域に貢献する(これはホテルの運営方針にもよりますが)ための対策です。
最近、事業継続計画(BCP)という言葉が企業経営の中でよく使われます。自然災害やテロ行為などの不測の事態において、企業の事業継続を図るための計画で、それに沿った運営管理手法を事業継続マネージメント(BCM)と呼びます。
ホテルにおけるBCP・BCMの成功例としては、○五年八月、米国史上最悪の自然災害となった、ハリケーン・カトリーナの災害におけるスターウッドホテルの例が知られています。同ホテルは、ニューオリンズ市内にWニューオーリンズ・フレンチ・クォーターなど3つの主要ホテルを運営しています。
これらのホテルは、停電や浸水の被害を受け、ゲストと家を失った従業員とその家族を、数日間ホテルに収容する事態となったそうですが、BCP・BCMの徹底により、最終的に全員を無事に関連ホテルに搬送。あらかじめ準備されていた非常用発電機、除湿器、ディーゼル燃料、ガソリン、食料、水などを、速やかにホテルに搬入し、同市のダウンタウンで最初にホテル営業を再開したそうです。
同時に、公的機関への施設の無料提供など、地域にも貢献しました。
このように、ホテルの防災対策の決め手は、事前の綿密な計画にあり、人の命を与るホテルにとって、BCP・BCMの策定は社会的な責任に違いありません。
ハード面での防災対策
■建物の耐震性に関して
これについては、免震構造や制振構造を採用し、より耐震性能の高い構造としているホテルが増えています。
庁舎等公共施設や病院などと同じレベルの耐震安全性を誇るホテルもあるのです。今後、もっと増えていくように、積極的に社会にアピールしてほしいところです。
逆に、新耐震基準以前の建物は、一刻も早く補強材を入れるなどの耐震改修が望まれます。
■仕上げ材の落下・剥離に関して
今までの国交省の基準対応のみでは十分でないところも見えてきました。場所によっては特別な工法による耐震天井等の採用も考慮すべきでしょう。
■天井の吊り物に関して
豪華なシャンデリアは、ホテルの華ですが、地震時に大きく揺れる姿は、強度的には問題ないとはいっても見ていられません。
あるスーパーゼネコンでは、シャンデリアに制振装置を組み込み、あまり揺れないシャンデリアを開発しています。
■停電に関して
停電時のホテル機能の維持は、自家発電設備の計画次第です。法規的には、二時間の運転が求められるているのみで、それ以上、建物機能の何をどのくらい生かすかは、オーナーの自主性に任されています。それだけに、ホテルの運営方針がストレートに見えるところといえます。
非常用エレベーター(消防が消火・救出活動に使用する)は、通常自家発電源で運転可能ですが、常用エレベーターも何台か動くようにする。給水ポンプやセキュリティ上重要な電気錠扉に保安回路を組み込む。自家発電源が使える自律コンセントを用意する。など、これらの考え方によって、自家発電設備のパワーと燃料の容量が決まるのです。
以前、外資系のホテルチェーンとの打合せで、自家発電の七十二時間対応を求められ、発展途上国ではともかく、日本では過剰ではないかと議論した記憶がありますが、今想えば「日本では過剰」は驕りだったようにも思います。
■空調に関して
停電時には空調設備は動きません。そこで活躍するのが、自然通風・自然採光などの自然エネルギー利用です。通常時のエコ・省エネ効果のみならず、被災時の建物機能の維持にも有効なのです。
■ホテルの地域貢献
安全確保の先にある、機能を維持しているホテルに望まれる姿が、地域貢献ではないでしょうか。
日本では、地域貢献の一環として、ホテルが自治体と災害時支援協定を結ぶケースがずいぶん増えました。ほんの数例をご紹介しましょう。
建替えのために、三月末で営業を終了したグランドプリンスホテル赤坂は、一○年に、災害発生時に要援護者等に臨時避難所としてホテルを提供する協定を千代田区と結んでいました。
そして、同ホテルは営業終了後から六月末まで、福島第一原子力発電所の事故で福島県から避難して来られた方々を無償で受け入れています。
ホテルメトロポリタンエドモントは、○四年、地域で「災害時相互応援協定」を締結し、防災イベントの開催を皮切りに、○八年には千代田区と「災害時における応急協力に関する協定書」を締結して、帰宅困難者避難訓練の一環として、災害時要援護者のホテル内受け入れ訓練を行っています。
そして今回の震災時、都内で発生した大勢の帰宅困難者に対し、多くのホテルはロビーを開放し帰宅難民を受け入れ、毛布や水を提供していました。
そもそもホテルとは、コミュニティ型などと名乗るまでもなく、歴史的に見れば地域に密着した存在だったはずです。ホテルは、元来そうした好ましい企業文化を持ち備えています。
今回の教訓による法整備を
災害時におけるホテルの一時避難拠点としての役割の有効性は、疑う余地はありません。
それを生かす法案として、たとえば、少し長い期間にわたり、被災者に寝床と食料と水を提供できる備蓄とそれを支える自家発電設備を整備するホテルには、基準容積を超えて法で規定する限度まで建設できるようにする(容積緩和)などのインセンティブが与えられれば、防災インフラとしての災害時一時避難拠点を、もう少し長い期間で整備できると思います。
同時に、これはホテルに限ったことではありませんが、電力消費を抑えられる自然エネルギー利用には、今以上に補助金や税制上の優遇措置があって良いと思うのです。
先日、経産省から今年の夏の電気事業法による電気の使用制限が発動されました。ホテルは、安定的な経済活動・社会生活に不可欠な需要設備として制限緩和を受けつつも、十パーセントの電力消費量削減を求められています。どこもこれまで対策を行なってきたうえでの更なる十パーセントで、厳しいです。
ホテルは、本来的にはハレの舞台です。
しかし、本当に辛い時に一緒にいてくれた友(伴侶)のように、社会が混乱をきたしている被災時に、たとえ粗末でも寝床を提供してくれたホテルは、一生忘れられない思い出の場所になるに違いありません。
ホテル愛好家として、ホテルがそういう心温まる存在であってほしいと願っています。
*情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.86 掲載特集記事より抜粋。